世界遺産の【東大寺】に参拝してきました。No.2

■三昧堂(ざんまいどう)〔四月堂〕

 

三昧堂は、法華三昧会が旧暦の4月に営まれていたことから、一般に四月堂と呼ばれています。

 

もとは千手観音像の北側に安置されている普賢菩薩像を本尊としていたとされています。

 

創建は治安3年(1021)、あるいは治暦3年(1067)とも言われています。

 

現在の堂には延宝9年(1681)の墨書銘があり、鎌倉・室町期の古材を用いて建て直されたとも考えられています。

 

江戸初期の解体修理の際に、現在のような内部に改められたようです。

 

永禄10年(1567)の兵火によって焼失した中門堂の諸仏が移されたとみられています。

 

三昧堂

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■法華堂(ほっけどう)〔三月堂〕【国宝】

 

法華堂は東大寺最古の建物とされています。

 

寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされ、752(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には、本尊として【国宝】不空羂索観音菩薩像(ふくうけんさくかんのんぼさつぞう)を祀る「羂索堂(けんさくどう)」として記されています。

 

また、旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになったことから、三月堂と呼ばれるようになりました。

 

正堂は天平初期の建築ですが、礼堂は鎌倉時代に建てられた大仏様(だいぶつよう)の建築です。

 

当初、寄棟(よせむね)造りの正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)は軒を接するように配置されていましたが、鎌倉時代に礼堂を入母屋(いりもや)造りとし2棟をつなぐ改築が行われたようです。


法華堂

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■法華堂経庫(ほっけどうけいこ)【重要文化財】

 

法華堂経庫は、元禄9年(1696)正倉院宝庫から西北約150mにある庫蔵の地にあった校倉を現在の位置に移築したものだそうです。

 

当社は手向山八幡宮の宝蔵として移築されたため、入口の扉が法華堂に背を向けているそうです。

 

明治初期の神仏分離の際、東大寺に帰属することになったそうです。

 

鎌倉時代に大修理が施され、小屋組・軒回り材の大半が取り替えられていて、その後も享保16年(1731)に軒を切り詰め、野小屋が新たに設けられました。

 

また、文政11年(1828)、明治中期に屋根の葺き替えが行われ、昭和の修理では中世の姿に復元されました。


法華堂経庫

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)

 

手向山八幡宮は、聖武天皇の大仏造営に協力するため天平感宝元年(749)に宇佐から迎えられ、鏡池(八幡池)の東側に鎮座したのが始まりとされています。

 

鎌倉時代の建長2年(1250)北条時頼によって現在地に遷座されました。

 

御祭神:応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇


手向山八幡宮2

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■二月堂(にがつどう)【国宝】

 

二月堂の名は、このお堂で旧暦2月に「修二会(お水取り)」が行われることに由来します。

 

現在のお堂は、寛文7年(1667年)の「修二会(お水取り)」中に失火で焼失した2年後に再建されたものです。

 

本尊は何人も見ることを許されない絶対秘仏で、大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像です。


二月堂2

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■閼伽井屋(あかいや)【重要文化財】

 

閼伽井屋は、修二会(しゅにえ)の際、本尊十一面観世音菩薩にお供えする御香水(おこうずい)〔閼伽水(あかみず)〕を井戸から汲む儀式が行われるところです。

 

天平勝宝4年(752)実忠(じっちゅう)和尚が二月堂で初めて修二会を行い、諸神を勧請した際、若狭国の遠敷明神が献じたものとされるところから「若狭井(わかさい)」とも呼ばれています。


閼伽井屋

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■開山堂(かいさんどう)【国宝】

 

開山堂は、良弁(ろうべん)僧正を祀るため、内陣中央に八角造の厨子が据えられ、【国宝】の僧正像が安置されています。

 

寛仁3年(1019)に初めて良弁僧正の御忌法要が行われたことから、開山堂はその時に創建され、同時に僧正像も造立されたものとされています。
 

 

 

■大湯屋(おおゆや)【重要文化財】

 

大湯屋は、重源上人によって建てられた浴場で中世の浴室の様子を伝える貴重な遺構となっています。

 

正面が入母屋造、背面が切妻造の東西に長い建物で、内部は3区分されています。前面を湯室の前室とし、中央が浴室で後面は土間で釜場となっています。

 

中央の浴室は、後壁に接して風呂屋形が造られており、その中には鋳物師の草部(くさかべ)是助によって造られたとされる大きな鉄製の湯船が据え付けられています。
 

 

 

■戒壇堂(かいだんどう)【県指定重要文化財】

 

聖武上皇は光明皇太后らとともに天平勝宝6年(754)に来朝した唐の僧鑑真(がんじん)和上から戒を授かり、翌年に日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立されました。

 

院内には戒壇堂・講堂・僧房・廻廊などがありましたが、江戸時代までに火災で3度焼失し、復興されたのは戒壇堂と千手堂だけでした。

 

現在の堂は、その時に再建されたものです。


戒壇堂2

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

■勧進所(かんじんしょ)

 

東大寺勧進所は1686年(貞享3)に公慶上人(こうけいしょうにん)によって大仏と大仏殿の修理再建のために復興の寺務所として建てられたものです。

 

勧進所には、阿弥陀堂や八幡殿のほか公慶上人を祀る公慶堂などがあります。 また、【国宝】僧形八幡神像が祀られています。

 

勧進所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生憎の天気にもかかわらず、東大寺には多くの観光客や修学旅行生が訪れていました。

 

私自身、東大寺を訪れたのは修学旅行以来でした。その時の印象は大仏様と大仏殿の大きさしか残っていませんでしたので、今回東大寺を訪れ子どもの頃とはまた違った目線で東大寺を観る良い機会となりました。

 

国内だけでなく海外を含め、今なお多くの人々を引き付ける歴史的建築物の奥深さを改めて感じました。

(参照:東大寺ウェブサイト・案内説明・パンフレット)

 

 

兵庫 リフォーム NEXST 片山でした。

 
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